ゼカリヤは、四台の戦車の幻を見たが(1~3節)、それは「天の四方の風」を意味した(5節)。神様のさばきと支配が、全世界に及んでいくことを現す幻であった(5~8節)。「わたしの霊を鎮めた」(8節)。主はさばきを為し終えて、休んでおられる。世の終わりが来ると、完全な主の統治の現われの日を迎えるのである。
「見よ、一人の人を。その名は若枝。彼は自分のいるところから芽を出し、主の神殿を建てる」(12節)。「一人の人」は「若枝」という名をもつ。イザヤは主イエス様の到来をこのように預言した。「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。」(イザヤ11:1)。主は来られて、十字架のみわざにより、ご自身が永遠の神殿になられた。
主の血潮で贖われた教会は、主の御霊が住まわれる神殿である(Ⅰコリント3:16)。一つ御霊が互いの内に働いて、主のからだなる教会を建て上げ、主ご自身の栄光を現される。主を信じる私たちは、主の御声を知っている(ヨハネ10:4)。御霊の導きは主の御声でもある。御霊を信頼して、導きに従っていこう。主の教会の完成を見ることができるように。「主の声に確かに聞き従うなら、そのようになる」(15節)。