『あなたはどこにいるのか』創世記3章1~21節 「あなたはどこにいるのか。」3:9

「そよ風の吹くころ」…神様は定期的に、エデンの園を歩き回られた(8節)。ご自身のかたちに造られた人間、アダムとエバと交わるためであった。アダムとエバは、蛇に惑わされて神様の命令に背き、食べてはならない「善悪の知識の木」から実を取って食べてしまった。その結果、恥と恐れの思いがやってきた(7~10節)。それは罪からくる思いである。罪とは神に従わないこと、神の覆いから離れることである。最初の人間アダムの罪は、全人類を支配し、死をもたらした。罪人は神様から身を隠す(8節)。神様を、罰を与える恐ろしい存在と考えるからである(10節)。自己中心であり、自己弁護する(12,13節)。罪によって失った最大のものは、神様との関係である。神様の覆いの中で、神様との交わりを楽しむ人間本来の存在意義を、罪は破壊した。しかし神様の愛は、罪と死をも打ち破るほど強かった。その愛は、御子キリストの十字架によって現された(15節)。
私たちの罪の清算はすでに終わっており、神様との平和を持っている(ローマ5:1)。キリストの血によって贖われた私たちは(21節)、恥と恐れからも解放されている。
「あなたはどこにいるのか。」神様からの問いかけに、「はい、ここにおります。あなたの御顔を仰いでおります。」と答えることができる。