受難週に入った。イエス様の十字架のみわざに思いを巡らし、感謝をもって過ごしたい。十字架は、罪と死の力から私たちを解放した。それは、肉の性質そのものの「古き私」からの解放である。生まれながらの私たちを、神は受け入れることはできない(ローマ3:23)。父なる神を満足させることができるのは、御子イエス様だけである。父なる神は、信じる者のうちに住まわれる主をご覧になり、栄光を現される。
「私たちは、この宝を土の器の中に入れています」(7節)。私たちの中に住まわれる主が現れるために、十字架は、今も力をもって働かれる。「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません」(ヨハネ6:63)。御霊のいのちが実を結ぶために、神に従うことのできない肉の働きを、十字架が無力にするのである。
「私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています」(10節)。信じる者は、キリストの十字架に合わされている。「私」が死ぬとき、イエス様が生きる(11節)。神様は、私たちを通して、人々にいのちを分け与えることを目的とされた(12節)。十字架から神のいのちは流れる。