モーセがイスラエルの民を率いて、エジプトを脱出するためには、ファラオの許可を得なければならなかったが、「わたしはファラオの心を頑なにし」(3節)。神様は、ファラオの頑固な心を、そのままにされた。モーセを神様の代理人、アロンをモーセの代弁者とされた神様は(1節)、イスラエルを脱出させるために、二人を通してエジプトに十の災いをもたらした。イスラエルに対しても、エジプトに対しても、主こそ神であることを知らせるためであった(3~5節)。
「私は主を知らない」(5:2)。ファラオの頑なさは、神様を知らない罪人の姿である。神を知ろうとせず、従わないなら、やがて永遠に滅びる(14:26~30)。
主を知り、主を信じることが、人間にとって最も大切なことである。
主を信じる者は、主に従うことで柔和な者へと変えられていく(6節)。「モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった」(7節)。モーセはミディアンの地で、四十年間、羊飼いとして過ごした後、神様から召し出された(2:21~3:10)。神の代理人になるためには、頑なな自我が取り扱われる四十年が必要だった。
砕かれた柔和な魂から、主のいのちが流れ、主ご自身のみわざが成される。主の御霊が、私たちから流れるとき、主が栄光を現される(ヨハネ14:12)。
十字架で自我を明け渡すなら、御霊が流れていく。