パウロは、テサロニケの教会が激しい迫害の中でも、苦難に耐えながら、信仰が大いに成長し、互いに対する愛が増し加わっていることを、主に感謝した(3,4節)。
福音が宣べ伝えられるところでは、必ずと言っていいほど迫害が起こる。それは世が、罪と死の力に支配されており、神と敵対するからである。しかし、その迫害を通して忍耐と信仰が練られ、成長していくことが、これまでの教会の歴史の中で証しされてきた。
中国は共産主義の弾圧にも関わらず、福音が広がり、家の教会、地下教会などが生まれ、成長していった。イスラム圏の国々でも、激しい迫害に遭いながらも、教会が生まれ、信仰の成長が著しいという、喜びのニュースを聞く。
信仰は練られなければならない。聖化の過程を通り、神の国にふさわしくされるのである。「終わりの時までに、彼らが練られ、清められ、白くされるためである」(ダニエル11:35)。
主は世をさばくために来られる(6~9節)。しかし信じる者たちの報いは、永遠の安息である(7節、ダニエル12:13)。私たちは主の栄光に向かっている(10節)。どのようなときでも、神の恵みと平安の中にとどまり続けられますように(2節)。