『幸いな人』詩篇65篇1~4節

 神は霊であり、聖なる方である。その神様が、「肉なる者」である私たちをみもとに近寄せられ、祈りを聞いてくださるのは(2節)、イエス様の十字架の贖いによる以外にない。イエス様が来られる以前、イスラエルの民が罪を赦されるためには、動物の血が流されなければならなかった。血を流すことがなければ、罪の赦しはない(へブル9:22)。

 この原則は、すべての人に適用される。しかし動物に血によってではなく、イエス様が二千年前に十字架で流された血がすべての人の罪の赦しを完了された(ヨハネ19:30)。「数々の咎が私を圧倒しています。しかし 私たちの背きを あなたは赦してくださいます」(3節)。だから信じる者は罪赦され、大胆に神様の恵みの御座に近づけるのである(へブル4:16)。

 ダビデが言っているように、幸いな人とは、神様のみそばに近寄せられ、神様の大庭に住む人である(4節)。私たち主にある教会は、幸いな人々の集まりである。私たちを愛し、私たちにご自身を与えてくださったイエス様によって、天にあるすべての霊的祝福で、満ち足りているのだから(4節)。