『主がともにおられた』創世記39章1~23節「主がヨセフとともにおられた…」39:2
ヨセフの生涯を一言で表すなら、「主がともにおられた」ではないだろうか。兄弟たちによってエジプトに売られたヨセフだが、ファラオの侍従長ポティファルの家に仕える者となり、やがて主人の家と全財産を委ねられるほど信頼された(1~ […]
ヨセフの生涯を一言で表すなら、「主がともにおられた」ではないだろうか。兄弟たちによってエジプトに売られたヨセフだが、ファラオの侍従長ポティファルの家に仕える者となり、やがて主人の家と全財産を委ねられるほど信頼された(1~ […]
王に対して、一万タラントの負債があった家来は、返済期間の猶予を懇願した(24~26節)。一タラントは六千デナリに相当するので、六千万デナリの借金があったことになる。当時の一日分の労賃は1デナリだったことを考えると、返済
イエス様は天の御国の奥義を、たとえで語られた。畑に隠された宝を見つけた人、高価な真珠を一つ見つけた商人は、いずれも「持っている物すべて」を売り払って、その畑を、その真珠を買うと言う。私たちにとって天の御国は、自分のすべ
「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」(1節)。神様はアブラハムに、自分が頼みとするすべてのものを捨てて、神様の召しに応答せよと言われた。神様だけを頼りにして生き
「そよ風の吹くころ」…神様は定期的に、エデンの園を歩き回られた(8節)。ご自身のかたちに造られた人間、アダムとエバと交わるためであった。アダムとエバは、蛇に惑わされて神様の命令に背き、食べてはならない「善悪の知識の木」か
ゼカリヤは、四台の戦車の幻を見たが(1~3節)、それは「天の四方の風」を意味した(5節)。神様のさばきと支配が、全世界に及んでいくことを現す幻であった(5~8節)。「わたしの霊を鎮めた」(8節)。主はさばきを為し終えて、
主が私たちに与えてくださったのは、救いの喜びである。それは罪のさばきから解放された喜びである(14,15節)。私たちを恐れ、苦しみ、恥で縛る罪の力は、イエス様の十字架で打ち砕かれた。復活により、死の力から解放してくださり
主が私たちに求めておられることは、「ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むこと」である(8節)。へりくだりは、従順、柔和とも訳されることがあり、それは神様のご性質である。イエス様は神であられるの
北イスラエル王国の預言者ヨナは、神様からアッシリア帝国の首都ニネベに行って、神のことばを語るように命じられた(2節)。しかしヨナは、この命令に従わず「主の御顔を避けて」ニネベとは反対方向のタルシシュ行きの船に乗った(3
「約束もしていないのに、二人の者が一緒に歩くだろうか。」3:3 イスラエルは、神様の選びの民である。「わたしは、地のすべての種族の中から、あなたがただけを選び出した」(2節)。 「選び出した」は、直訳すると「知った」で