『神の子ども』ヨハネの手紙 第一3章1~3節「愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。」3:2
私たちは御子イエス・キリストを信じる信仰によって、神の子どもとされた。それは、天の父から与えられた特権である(ヨハネ1:12)。特権の意味を調べると、「特定の身分、資格のある者だけが持つ、優越的な権利」となっている。 […]
私たちは御子イエス・キリストを信じる信仰によって、神の子どもとされた。それは、天の父から与えられた特権である(ヨハネ1:12)。特権の意味を調べると、「特定の身分、資格のある者だけが持つ、優越的な権利」となっている。 […]
ペテロは変貌山での出来事の目撃者であった(マタイ17:1~8)。イエス様が栄光の姿に変わるのを目の当たりにし、父なる神様の御声を聞いた確かな証人である(16~18節)。しかし預言のみことばは、「さらに確かな」ものである
かつてペテロは、主のためなら、いのちも捨てると言った(ヨハネ13:37)。しかし主が捕らえられたとき、主を捨てて逃げ、三度「主を知らない」と否定した(マタイ26:69~75)。復活された主へのペテロの告白(ヨハネ21:
「みことばは、あなたのすぐ近くにあり」(申命記30:14)。聖書は、いつでも手元で開くことのできる神のことばである。神様は、みことばによって私たちに語ってくださる。聖書通読は、日々の神様の語りかけと受け留め、続けてい
イエス様は罪人を救うため、人として、この世に降誕された。血を流すことがなければ、罪の赦しはない(22節)。イエス様が十字架上で流された血は、すべての人を罪から救うための、完全で十分なものであった(26節)。人間には一度
神様は創造のわざをなし終えたあと、永遠の安息に入っておられる(4節)。イエス様の十字架の贖いは、神ご自身の安息の中に、人間を招き入れるためであった。古き人(肉)は安息を知らない。「何かをすること」に意義を見出し、行いを
救いは私たちの行いの義ではなく、キリストの十字架のみわざによる。それは神の恵みにほかならない(5節)。「聖霊による再生と刷新の洗いもって、私たちを救ってくださいました」(5節)。主を信じる者は、聖霊によって新しく生まれ
私たちが救われたのは神の恵みによる。私たちは今、神の恵みの中で生きている。神の恵みを実感させるのは聖霊である。 聖霊は助け主である(ヨハネ14:16)。信じる者のうちに住まわれて、「神を知るための知恵と啓示」を与えて
教会は神の家、生ける神が住まわれるところである。ペンテコステの日に注がれた聖霊は、イエス様が十字架のみわざを成し遂げられて、天でお受けになった栄光である(ヨハネ7:39)。主の栄光の御霊は教会を生み出し(使徒2:43~
パウロは、テサロニケの教会が激しい迫害の中でも、苦難に耐えながら、信仰が大いに成長し、互いに対する愛が増し加わっていることを、主に感謝した(3,4節)。 福音が宣べ伝えられるところでは、必ずと言っていいほど迫害が起こ